• 有松天満社花暦だより

有松の祭礼史

最終更新: 9月24日

有松の祭りの起源は、桶狭間にある神明社へ有松から参詣した行事を母体とした事から始まり、独自の祭礼として発展してきました。


その頃の有松の祭礼は山車まつりではなく、背の高い梵天の笠鉾を先頭に、太鼓を乗せた音頭台や趣向を凝らした衣装を着た賑やかな練物行列が天満社の宮の坂を登るといった祭礼でした。


当時の有松の祭礼の様子が、高力猿候庵種信による「尾張年中行事絵抄」で紹介されています。

名古屋市教育委員会「名古屋市山車調査報告書4 有松まつり」より

この祭礼図は、江戸時代後期の有松の祭礼を知る唯一の資料で、梵天の笠鉾や音頭台の他にも、異国情緒あふれる唐人行列や、組名等を書いていると思われる梵天や着物を着た者が踊っている光景が描かれています。


また、有松の祭礼は東海道筋にありながら農村的な祭礼要素も備えており、笠鉾やオマント奉納も行われ、これらの祭礼費用は「中老」と呼ばれた絞り産業で栄華を誇った町の名家が負担し、町の繁栄と共に祭りの発展へ大きく貢献し、有松の文化の礎を築いていきました。


さらに、近代になると有松の祭礼は山車まつりの文化へと移り変わっていきました。

昭和初期までは桶狭間の神明社との祭礼の往来もあり、戦後から昭和32年までは祭礼日が3日間行われていました。

1日目は梵天立て・山車の飾り付け・前夜祭神事が行われ、2日目には町曳き(チョウビキ)が行われ、3日目には本楽が行われていました。

また、オマント奉納は子供連・若連・年寄連を中心に行われ、天満社境内だけではなく、町内も練り歩きました(オマント奉納は昭和34年まで行われていました)。


昭和39年(1964年)以降は祭礼日前日に梵天立て・山車の飾り付け・前夜祭神事を行い、祭礼日当日は神事ならびに山車曳き行事が行われるようになりました。

昭和32年まで行われていた町曳きは道路事情が変わった事により廃止され、近年ではかつて町曳きが行われていた巡行ルートを基に、お祭りを知らせる「囃し込み」を祭礼日前日の夜に行うようになりました。



+++++有松のその他の祭礼+++++


有松の祭礼には、秋に行われる山車まつり(秋季大祭)の他にも、元旦祭・天神さんの春まつり(春季大祭)といった天満社三大祭礼をはじめ、年間を通じて行わる献灯神事(提灯まつり)も行われています(行事案内を参照)。

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