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  • 執筆者の写真有松天満社 花暦

東町布袋車

更新日:2023年6月2日

 東町布袋車の建造年は延宝3年(1675年)以前で、かつて若宮祭(名古屋市中区)の祭礼車として下玉屋町から曳き出されていたものを、明治24年(1891年)に有松が譲り受けました。

東町布袋車(写真は平成30年度秋季大祭のもの)

 大幕は文化9年(1812年)に作られ、下絵は尾張御用絵師である山本梅逸による大変貴重なものです。

 正面に「鳳凰」、右側面に「麒麟」、左側面に「応龍と霊亀」が金糸の刺繍で施されています。

 また、後面の見送り幕には、尾張藩右筆の丹羽盤桓子の書で詩文が刺繍されています。



到處盡逢(これから向かう処では)

歡洽事(歓ばしい事に出会うでしょう)

相看總是(いつもお互いみんなが)

泰平人(穏やかでゆったりした人でありましょう)



現在復元新調中の東町布袋車の大幕
現在復元新調中の東町布袋車の大幕(見送り幕)

 また、東町布袋車のみ、祭礼当日の夜に行われる夜祭りに夜用大幕を保有しており、梅鉢紋と五七桐紋とが刺繍されています。


夜用大幕を纏った東町布袋車

 からくり人形は、布袋人形・文字書き唐子人形・蓮台廻し唐子人形・陣笠をかぶった麾振り童子の4体で、いずれも尾張のからくり人形師・二代目玉屋庄兵衛によるもので、歴代玉屋庄兵衛が手掛けた現存するからくり人形の中で最古のものと云われています。

東町布袋車のからくり人形

 東町布袋車は、かつて若宮まつりの祭礼車として曳かれていた時、「南総里見八犬伝」の著者としても知られる滝沢馬琴も享和2年(1802年)にその目で当時の布袋車を観ており、このように感想を綴っています。



 布袋の車楽は、から子の人形前に立。筆をとりて文字をかくからくりにて、甚だ手際なるものなり。

滝沢馬琴「羇旅漫録」より



 また、文久年代(1861年頃)には、尾張藩14代藩主徳川慶勝公が名古屋城の二之丸御殿から撮影したとされている写真も残っています。


 さらに、名古屋の山車文化を綴った「名古屋祭り」の著者として知られる伊勢門水は、有松での祭礼で曳かれる東町布袋車について、同書「布袋様に對面」の頁で次のように紹介しています。



 是が即ち玉屋にあつた布袋車で流石に寸法も大きく至極ドツシリとした貫目のある布袋和尚の尊像久し振りにお目に掛かつた愛らしい唐子の顔

伊勢門水「名古屋祭り」より一部抜粋



 東町布袋車の大幕は、経年劣化の為、平成30年(2018年)の秋季大祭をもって見納めとなりました。

 現在大幕は復元新調中であり、復元新調が終えるまでの間、東町布袋車は猩々緋幕を取り付けての曳き出しとなっております。


 この猩々緋幕も非常に想い出のあるもので、平成元年(1989年)に開催されたデザイン博に参加する際に誂えました。

その際、布袋車が有松に譲られて以来、実に98年振りに故郷の若宮まつりの福禄寿車との再会を果たしました。




+++++*+++++布袋車の故郷「若宮まつり」について+++++*+++++


 若宮まつりは名古屋市中区の若宮八幡社の御祭礼で、布袋車の他に、福禄寿車・黒船車・河水車・西王母車・寿老人車・陵王車の計7輌が曳かれていました。


 かつては若宮八幡社から三之丸天王社まで神輿と共に山車7輌が向かっていた御祭礼でしたが、戦災により、福禄寿車と河水車、有松にある布袋車以外の山車は焼失していしまいました。

 戦災から逃れた福禄寿車と河水車は東区出来町へ売られてしまいましたが、社殿・祭礼の復興と共に福禄寿車は返車され、現在に至ります。

 祭礼日は5月の中旬に行われます。



【福禄寿車】

 延宝4年(1676年)に建造され、天保6年(1835年)に尾張藩主10代藩主徳川斉朝公より猩々緋幕を拝領しました。

 福禄寿車は、猩々緋幕の拝領をきっかけに、尾張の山車文化に猩々緋幕の流行・浸透させた山車でもあります。


【黒船車】

 延宝2年(1674年)に建造され、明和9年(1772年)に黒船車を新調する為、旧黒船車を売却しました(旧黒船車は美濃の相生町が購入)。

 末広町の2代目黒船車はその後戦災で焼失しましたが、美濃の相生町が購入した初代黒船車は戦災を逃れ、現在も美濃まつりで「舟山車」として曳き出されています。

 美濃まつりは毎年4月第2土・日曜日に行われ、土曜日は花神輿、日曜日は舟山車をはじめ浦島車・聖王車・三輪車・靭車・布袋車や練り物が氏神・八幡神社に奉納されます。


【河水車】

 延宝2年(1674年)に住吉町で建造されました。

 出来町の先代車・石橋車が戦災で焼失してしまった為、昭和23年(1948年)に住吉町から譲り受けました。

 出来町では毎年6月第1土・日曜日に出来町天王祭が行われ、河水車はじめ、鹿子神車・王義之車の計3輌が曳き出されています。

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